スキーとネットとロードバイクと旅。

群馬で自由人からリーマンになった恋する男の趣味に生きるブログ。

インフラ、その積み重ねに感動する。

僕が初めてPCを触ったのは中学2年の頃だった。いまでもわすれない、富士通のFM-TOWNSだ。学校の情報処理室に30台ぐらい置いてあったと思う。その当時はまだペンティアムも出ておらず、GUIではなくコマンドラインだった。

さわるにつれて、興味を持つようになり、勝手にconfig.sysを書き換えたりして遊んでいた。でも、やっぱり学校のパソコンじゃ使える時間もいじれる範囲も限界がある。だから高校に入ってから、いままでの貯金をはたいてPC9821を買った。よく覚えていないがたしかにCRTつきで40万ぐらいしたと思う。

一応、windowsを入れてはいたが、やっぱりdosをいじって遊んでいた。特にゲームとかpcの能力をフルに使うようなソフトを動かすために、メモリをどの程度確保出来るか、難儀しながらも楽しんでいたような気がする。

ただ、その当時はまだインターネットは普及しておらず、あるとすれば夜11時以降のテレホーダイを利用したパソコン通信があるぐらいだった。僕はそのパソコン通信にすら参加できていなかった。親に懇願したが、金を自分で払うと言っても返事はNoだった。いま思えばあの頃パソコン通信に参加していれば僕の生き方も変わっていたかもしれない。当時の親にとってはただの遊びにしか見えなかったみたいだけど。

ずっとスタンドアローンなpcを使い続けていたけど、ついに大学生になってISDNを導入して、僕のpcライフは劇的に変化した。一言でいえば、僕自身が、ネットワークとつながった、そんな感じになった。まだまだナローな回線だったし、携帯のi-modeもメールぐらいしか使い道がなかったけど、ネットワークにアクセス出来る喜びを日々感じていたと思う。


そこからはもう、加速度的にあらゆる事が変わって行った。64kが100メガになり、携帯はハイスペック化し、ハードディスクはメガバイトからテラバイトへ、UIはコマンドラインをカタカタ打っていたものが、アイコンをタップし、ピンチアウトインなんてものになってきた。

ここまできて、ふと思う。いつの間にやらこんなにもネットワークに常時参加出来る状態になっていたんだろう。

僕はいままでiPhoneイーモバイルネットブックとかわりと端末ばかりに目が行っていた。でもこれらの端末はあくまで「端末」であって、その通信を支えるバックボーンがなければ、端末それ自体の価値は半減してしまう。当たり前すぎて、特に意識していなかったんがけど、それは結構すごい事なんだと思う、というか今や水道や電気と同様に扱われるぐらいの存在なんだなーと思う。

アル・ゴアが副大統領だった頃にブチ上げた「情報スーパーハイウェイ構想」は当時は夢みたいな話だなぁと漠然と感じていたけど、気がつけばもう民間企業の努力で構想自体を具現化できた状態。

今の情報インフラをアレンジした各企業間、各団体間の叡智と努力と協調の積み重ね。

その事を思うと、僕は感動する。







いままで漠然と感じていたけど、ちゃんと書いておきたかった。国主導の電波事業とかとくらべると、ネットってステキ!って思ったんですよ。単なる独り言ですので。あしからず。